人は環境の生き物なのか?
以前受けたセミナーの中でこんなことを言っていた。
「人は環境で出来ている」
はたしてそうなのか?
生きていくということは、日々選択の連続であるのは分かる。
その選択自体、幾つかの今いる環境の中での選択をしている。
自由にある選択肢の中から選んでいると思っているが
実は、すでにある一定の環境の中から選択をするのだと。
もし、日本というところにいなければ、朝起きてする選択は違ってくるだろう。
今、電気が来ていないアフリカの奥地にいるとしたらどうだろう?
起きてからのやるべき選択はまったく違ってくる。
まず、水の確保、火を起こしてからの食事の選択など。
恵まれた、この日本という環境とはまったく違う選択をすることになる。
世界中から、あなた一人を見つけて結婚した。
なんて歌もありそうだが、
世界中の女性と会って選択したわけではない。
あなたの近くにたまたまいた、その人に恋をして結婚したのだ。
そう環境の中で。
若い学生と話した
先日、大学卒業前の学生と話す機会があった。
「将来やりたいことや、進みたい方向などはあるの?」
「うーん…」
「なんでもいいよ、こんな道でも、こんな感じでも?」
「うーん……ホワイトな会社で働きたい」
・・・・・・。
「ブラックな会社って、定義はあるの?」
「うーん、遅くまで無理やり働かされたりとか、休みがない、プライベートな時間がないとか?」
「なるほど、じゃあ具体的にホワイトな会社って?」
「うーん、わからない」
「お金はほしいの?仮にどれぐらい稼ぎたいの?」
「お金持ちにはなりたい」
「お金持ちっていくら稼げばそうなの?」
「スーパーとか、外食に行って好きなものを気にせず買えたり、食べたり出来る」
と、こんな感じでやり取りは進んだ。

その選択も環境のなせる技
具体的に何も見えていない世界。
それも彼の環境がなせる技ではないだろうか。
もし、彼の環境、周りが学生で起業するということに燃えているグループでいたらどうだろう?
またすでに起業している同級生や、少し先輩ですでに経営している人の環境でいたら?
独立を目指して、起業するのが当たり前と思うだろう。
そしてそれをするための、選択肢が目の前に現れるだろう。
環境なのだ。