7歳にして借金生活
私が借金をしたわけではないが、7歳の私にとって親の借金は
そのまま、私たち家族の生活に直結するのだ。
今までお金は、いつもの台所の食器棚引き出しに、無造作に置いてあることを知っていたので、適当に、お菓子やアイスが食べたければそこからとって食べていた。
しかし、そこのお金も無くなってしまった。
買いたいものが買えない
今まで普通に買えていたものが買えない。
ほしいものが買えなくなるのだ。
たった一夜に起こったことで…。
稼ぐしかない
47年の赤潮で負った借金を支払うためにおやじは何をしたか?
ハマチの養殖だ。
それしか借金を返すすべはないからだ。
同じ漁師仲間も、また稚魚を借金して買い、餌をやり、越冬をし、ぶりに育てる。
夏は、まともに寝れない、いつまた来るかもわからない赤潮に怯える毎日だ。
借金に借金を重ね、漁協からも、信用金庫からも、農協からも、借りれるところはすべて借りる、もう限界だ。
そして、また、赤潮は何度となく全てを死の海へと変えてしまう。
裁判
漁師はみんなで国を訴えた。
訴訟だ!
いつ終わるかわからない戦いに入った。
いつ終わるかわからないから、その間もハマチを養殖し続ける。
記憶
私の記憶には、赤く染まった海、ひどいときは小さなオコゼやサザエ、とにかく全てと言っていいほどの海の生物が死んでいった。
もはや海は赤ではなく、濃い口しょうゆを薄めたような濃い赤紫色に染まり、ひしゃくで海水をすくえば、その水はまるで天津飯のあんかけの餡のように、トロトロとしているのだ。
強烈な死んだ魚の、腐敗臭が海から住んでいる集落までを包み込む。
海の地獄絵図である。

ほかに手段を持たないということ
すでに借金は減ることもなく、増え続け、事業転換も無理。
15歳の夏、おやじに言ってしまった。
「もうハマチの養殖はやめたら、やり続けるなら家をでるわ!」
夏休みは弟と二人、朝の4時からの手伝い。
ほぼ、毎日夜中の4時前には起こされる。
定置網を上げ、魚をより分け市場へ、片付けを済ますと、ハマチの餌を積み、養殖場までの船の上で朝食、昼過ぎに港へ帰る。
これを毎日だ、当然無給。
その年も、ハマチは死んだ。
このままでは、本当にダメになると思ったのだ。